唐突だが、僕はあいみょんが好きだ。
なぜ好きかは、僕自身にもわからない。
キャッチーなメロディ、男性目線の歌詞、どこか懐かしい世界観、正統派美人とは言い難いがアンニュイで心を惹きつけられる顔立ち、女の子がギター一本で弾き語るカッコ良さ。
たぶん、あいみょんを好きになる理由なんていくらでもある。というか、日本中があいみょんのことが好きだろう。だから、僕も日本人としてあいみょんが好きなんだとも言える。でも、僕はあいみょんが好きな明確な理由はわからないでいる。
恥ずかしながら、僕はもう30歳を過ぎ、味覚もだいぶ劣化して大嫌いだったレバーも少しなら食べられるようになった立派なおじさんだ。
そもそも、おじさんはあいみょんを好きになることは許されるのだろうか?
僕は個人の趣味であるので、許してほしいと思う一方で、他のおじさんがあいみょんに強くハマってはしゃいでいる姿を想像すると、やはり客観的に見てよろしくない行為だと思う。Facebookしかり、TikTokしかり、おじさんが若者文化に擦り寄ってしまうと、ギャップと衝突が生まれ、笑い物にされたり、若者文化自体が廃れてしまったりする。社会風刺アニメのサウスパークでも、ポケモンにどハマりしていた子供たちも、親たちが始めると子供たちは辟易としてポケモンブームが去ってしまうという神回があったが、まさにその現象だ。
おじさんはおじさんらしくないものを好きになってはいけない魔法をかけられている。
では、あいみょんの意見はどうなのだろう?
あいみょん本人さえよければ、この議論は終了だ。あいみょんfeaturingおじさん祭りが開催される。
あいみょんがおじさんを是とするか、その答えは「みょん」にあると、おじさんは推察する。
「みょん」
口に出してみる。
「みょん」
一体何なんだ。そもそも「みょ」ではじまる単語なんて、「ミョウガ」くらいしか思いつかない。
僕はあいみょんが好きだが、そんなに詳しいわけではなく、いわゆる「にわかファン」である。ラグビー人気に伴い、「にわかファン」という言葉が肯定的に受け取られる世の中となったが、あいみょんに対してもまた肯定的であることはここで言及しておこう。なぜなら、おじさんが若者文化を若者より詳しくなってしまったとき、新種の気持ち悪さが爆誕するからだ。その爆発力とは凄まじいもので、僕自身の父親がAKB48にハマって篠田麻里子について力説された際には、1800年代後半にロンドン郊外で活躍したジャックさんと似た衝動が湧き上がるほどだった。
閑話休題。
「みょん」
なんていい響きだろうか。
「みょん」
とはどうやって生まれたのだろう。そこに「おじさん」と「あいみょん」を繋ぐ答えがある。
天賦の才能を持ち時代の象徴的存在である彼女の本名が「愛ちゃん」とか「愛美ちゃん」とかで、あだ名が「あいみょん」ということはないだろう。
やはり考えられるのは、一つしかない。
大変残念だが、「みょん」とは、おじさんへの抑止力なのだ。
「みょん」という言葉はおじさんにとって、名状し難い抵抗感を与える。ひとたび「みょん」という言葉を発しようものならば、おじさんという自我は崩壊してしまい、生涯元の姿に戻ること叶わず、「キモいじじい」として生きていくことになる。
つまり、「みょん」と「おじさん」が相入れないということこそが、あいみょんがおじさんを受け入れられない証拠であるということだ。
果たして本当にそうだろうか?
僕はこのブログを書いている途中である真実に気づいてしまった。この真実をネットに公開していいかは疑問に残るが、気づいてしまったことは喋りたいので書き記す。こんなクソ記事なんてPVも少ないだろうし問題ないだろう。
あれは中学生の頃。(おじさんの若い頃の話なんて聞きたくないだろうが、少し我慢を覚えることも大切だ)両手の人差し指で左右の口の端を引っ張り、「イー」という状態になったまま、「オンナトプロパイル」って言ってみて、と友人に言われたことがある。
当時純粋だった僕は、言われるがまま喋ってみると、
「女と風呂入る」
と変換され、友人に「女と風呂入るんだー。スケベ」と不条理に馬鹿にされたことがある。
この不条理を「あいみょん」という不条理に当てはめてみると、不思議なことが起こる。
「あいもん」
となる。
みなさんはもう気づいただろうか?
「みょん」は「もん」となるんだ。
すなわち、門(もん)だ。
世界で一番有名な門といえば、ダンテ の神曲の「地獄の門」であろう。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
(ダンテ 著「神曲 地獄編」より引用)
あいみょんを楽しむためには、希望を捨てなくてはならない。
希望とは何か?
おじさんという生温い世界で生き続けることだ。
僕はーーおじさんである僕はーー最後にあの言葉を使おうと思う。
「皆さん、ここまで読んでくれて、ありがとみょん。」
「みょん」とは抑止力であり、胆力。
そして挑戦である。
令和元年。キモいじじいより。
\おじさんが大好きな「君はロックを聴かない」が収録されたアルバムだよ/