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【笑うってなんですか?】映画「ジョーカー」でダンスの衝動が抑えられない件

ジョーカー

たなやしき

どーも、たなやしきです。
映画「ジョーカー」見たよ。面白かった!ジョーカーってピエロっぽいよね
おい!
ジョーカーがピエロなだけで、俺がジョーカーを真似してるわけじゃないぞ!

ピエロ

ピエロは別にジョーカーを意識しているわけじゃないよ。ジョーカーがピエロなんだよ。ほんとだよ。
ダークナイトのジョーカーはめちゃくちゃ格好良かったよね。ピエロとは似ても似つかないよね。

さて、それでは映画「ジョーカー」の感想を書いたので、読んでください。ネタバレありまくりですが、本作はシナリオが本質ではない気もするので読んでもいいかもしれません。

ジョーカーとは
アメコミで人気のシリーズ「バッドマン」の悪役キャラ。ピエロの格好をしており、残虐なサイコパスだ。
本映画は「ジョーカー」はジョーカーがどうやって生まれたのかが描かれています。

あなたにとって笑うってなんですか?

「ジョーカー」は笑うことの意味を考えさせられる映画だ。
みんなは笑うことを疑問に思ったことってある?
僕はもちろんないよ。いつもヘラヘラと無意味に笑ってる。

主人公・アーサーは、自分の意思とは関係なく、笑いが突然止まらなくなる脳神経の病気を患っている。
ダウンタウンの子供に暴行されている時も笑い、静閑なバスでも笑いが止まらず不気味な扱いを受け、上司から解雇を言い渡されても笑顔が止まらないほどに。

鑑賞中、何度もアーサーに同情してしまう。アーサーは感情を表現できずに笑ってしまう。自分がその状況だったらと想像するだけでもどかしい気持ちとなる。
笑いの発作が起こるたびに、彼は喉を締めて笑いを堪える。笑いが嫌なことだと思えてくる。しかし、アーサーはピエロの格好をしてコメディアンになり、笑顔を周りに振りまきたいと頑張っている。逆説的だ。深い。たぶん。

アーサーは自分のジョークで笑ってくれるのは、とても喜んでいる。
しかし、嘲笑に対しては殺人衝動を起こすほどの怒りが湧き出てしまう。
映画の中で笑いは沢山の側面を持っている。

僕にとっての笑顔とは、なんだろうか?
考えてみると、やはり一番は幸せの象徴である。
笑顔な人を見るとハッピーな気持ちになる。
面白いことがあったときには笑ってしまう。

しかし、ときに上司、客先、先輩に対して「とりあえずニコニコしとこう」と質の低い従順な表現で笑っている場合もあるよね。僕はある。
このタイミングでの笑顔にハッピーな気持ちはまるでなく、このような不本意な笑顔を「偽物の笑顔」と勝手に定義してみる。

アーサーは病気により「偽物の笑顔」を強制されている。
笑う衝動のタイミングは不定期であり、「偽物の笑顔」は奇妙であり周囲から多くの感情を生み出してしまう。主にネガティブの感情を。

「偽物の笑顔」はストーリー上で変化していく。
物語前半部では「強者への屈服」という形で「偽物の笑顔」が使われていることが多かった。
中盤ではアーサーの「夢への妨害」としての邪魔な役割として目についた。
そして終盤でのアーサーの笑顔は「弱者の偶像」となっていた。貧民層の人間たちのカリスマ指導者として笑顔がポイントとなっていた。

自らコントロールできない「偽物の笑顔」。
この映画では、「偽物の笑顔」の存在価値を昇華させる物語となっている。そんなことを思った。

あなたにとって、笑いって何ですか?(真顔)

常識は本当の世界か?

笑うってTPOが重要だ。
僕が上司から怒鳴られているときに笑ったら、ヤバイやつ認定されるように、笑うタイミングが常識と違うと、不気味さと恐怖が生まれる。

本作では笑うタイミングの異常による不安感が何度も演出されている。
観客は仕方がないとわかっていても、その不自然な笑いに恐怖するだろう。
そして、仕方ないとわかっていながらも、不気味なアーサーへの周囲の厳しい対応に怒りと同情を感じるだろう。

アーサーにとっては日常で、僕らにとっての非日常は笑うタイミングだけではない。

市長を昔の恋人と勘違い毎日懇願の手紙を出す精神異常な母親の介護、
同じアパートの住人をストーキングしたら恋人になったり、
それが妄想だったり、
……
そんなカフカの世界観のようにアーサーの周りでは不条理が描かれている。

カフカとは
カフカって「変身」とかが有名な小説家。「変身」は、ある朝、突然毒虫となってしまった青年が、可哀想な仕打ちを受ける不条理な作品だ。

僕らの常識の世界は、本当なのだろうか?
(厨二的妄想きもいって言わないで!)

常識が本当の世界なのは、僕らマジョリティ側にいるからなのではないか。
マジョリティ側はマイノリティな人たちを、どうしても奇妙だと思ってしまう。でも、それは仕方がない。自分がその立場にならなくては気付きようがないからだ。

アーサーは、偶然同じエレベーターに乗った隣人女性が銃で自殺するギャグの虜になる。
コメディアンにとって命がけで挑まなくてはならないテレビ初出演で、アーサーは何を血迷ったか自殺ギャグをアレンジして披露しようとするくらいハマってしまう。
「そんなギャグで大丈夫か!?」とエルシャダイのような心配をしてしまう。
アーサーは、自分自身が死ぬよりも、コメディTVの司会者を殺す方が笑えるということを学ぶ。
ジョーカーにとって喜劇とは、人が死ぬ、そして笑うことなのである。たぶん。

いくらアーサーが可哀想だといえ、そんなサイコパスを僕ら凡人が理解しようがない。
けれども、アーサーが不条理な世界観に立ち向かい、理解されない答えにたどり着く様を見て素敵に思えたのは間違いなかった。

エルシャダイを知らないあなたに……

とても美しい映画

さて、ここまででシナリオが良すぎたのは伝わったと思う。たぶん。

でも、シナリオよりも心が叫びたかっているのは、映画が美しすぎるってこと!

ジョーカーといえばダークナイト。ダークナイトといえばジョーカー。
ダークナイトのジョーカーといえばヒース・レジャー

って感じでヒース・レジャーの狂気なジョーカーの印象がつきすぎて、他の俳優でのジョーカー役は難しいのではないかと勝手に思い込んでいたが、ホアキン・フェニックスの演技力に塗り替えられてしまった。これはマジで!(ヒース・レジャーのジョーカーが大好きなのは僕も同じだよ)

優しいアーサーの前半から、狂気に満ちていく後半のギャップは凄すぎた!

アーサーの演技力だけでなく、カメラワーク、色彩に魅せられてしまった。
特に、元職場の同僚を虐殺し、夢であるTVショーにコメディアンとして向かう途中、階段を降りるダンスシーンはとても美しかった。カメラワークもカラー配分も息を飲んで見入ってしまった。

そして、ラストのトムとジェリーのような喜劇風殺戮エンドも美しかった。
これは僕の文章力では描写できないので、ぜひとも劇場に足を運んでほしい。

ジョーカーと僕

ジョーカーの行動や考えは全く理解できないし、もちろん理解する必要もない。
けれども、心の奥底では何か憧れに似た感情を揺さぶられた。
ふと、BLEACHの愛染隊長のあの言葉を思い出す。

「憧れは理解から最も遠い感情だよ」

でも、それでいい。アーサーほどではないにしても、日々抑圧されて社会人をしている僕らにとってジョーカーはカリスマなのだ。
どのような境遇にあっても、コメディアンの夢に向かって突き進んだジョーカーのように、僕も死ぬまでに色々と挑戦したいと思えた。

そして、いつの日か……

僕もジョーカーのように人通りの多い街の階段でダンスをしようと思う。

その時、みんなは僕を異常者として、怪訝な顔で逃げ出すだろうか?
それとも、崇拝して応援してくれるだろうか?

僕も誰かのカリスマになりたい。
そんなことを思ったんだ。休日な穏やかな青空を見ながら。

たなやしき

映画サイコーだったよ!
ぜひ見てね!それでは、次回もたなやしきで待ってるぞー!

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